ゆかいなジャニオタのブログ

関ジャニ∞について書くブログ

Heavenly Psychoが好きな気持ちを小説風に表してみた

私はHeavenly Psychoがとても好きです。

別に誰も興味はないと思うのですが、私がHeavenly Psycho(以下ヘブンリ)にはまった経緯を、なんか小説風に書けそうな気がしたので書いてみることにします。

書けそうな気がしているだけなので書けない可能性が大です。

それでは行きます。

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 私はHeavenly Psychoが好きだ。すごく好きだ。どこがどう好きとか、それに値する言葉を見つけることはとうに止めた。とにかく好きなのだ。辛いとき、ちょっと嫌な時、しんどいことがあると、私はパソコンに向かい、ヘブンリを眺める生活をし続けた。心の支え、ジャイアン的に言うと、心の友ってやつだ。私は「人と音楽」という垣根を超え、ヘブンリに支えられ、確かな信頼を育んでいったのである。

 

 私がヘブンリに触れたのは、十祭だった。その頃は「関ジャニ∞=関西のおもろい芸人兼アイドル」ほどの認識しか持たなかった私が十祭を手に入れたのは、私が嵐のオタクをやっていたからだ。当時の私は、「関ジャニ∞が嵐のA・RA・SHIをライブでやってるらしいww」という情報を聞き、「なんか面白そう」という気持ちだけで、2015年2月6日、Amazonの密林へ旅立ったのであった。

「なんか面白そう」

私のその考えは、すぐに軽率だったと思い知らされることになる。

初めて十祭を見た日のことはよく覚えている。

私は泣いたのだ。

 

 十祭は、当時の私には知らない曲が多く、事務所メドレーとてあまり知らなかった。しかし、途方もない観客、7人それぞれがド派手な神輿で登場し、途中で40分もかけて壮大なコントをするのも相当な衝撃だった。しかも内容があれである。

意味が分からなかった。A・RA・SHIは確かにおもしろかった。しかしそれ以上に、目まぐるしく現れる数々の暴挙(あえてこういう言い方をする)に、「なんだこれは」と思った。これは私の知っているジャニーズのコンサートではないと。

そして私は最後、横山さんの言葉で泣いた。

十祭という、関ジャニ∞にとって十周年を祝う大事なコンサートだった。そこで横山さんは泣いた。特にどういった言葉を発したわけでも、誰かが泣いていたわけでもない。

「なに泣いてんねやろ」

そういって、金髪の彼は大粒の涙を流したのである。

それを見て、私も泣いた。

 

 繰り返すが、当時私は嵐のオタクであった。その入り口が嵐の10周年の年で、ちょうど「5×10」というツアーを行った。その映像を見たことがきっかけである。

嵐では、10年という節目が大々的に祝われ、どのテレビも嵐一色だった。日本中が嵐をお祝いしていた。TOKIO、V6等の先輩いた中、「嵐」という漢字一文字を与えられた彼ら。まだ若くて、本当は何も分かっていなかった彼らは、つらい時期を過ごし、大きな会場でコンサートをできるまでに成長したのであった。

 「10年」という、この数字、言葉は、嵐オタにとって、とりわけ私にとっては特別なものであったのだ。

 嵐と同年代なのに、5年遅れでデビューした関ジャニ∞

 最初は、関西限定のデビューだった関ジャニ∞

 「関西ジャニーズJr.」から、先の見えないデビューだった関ジャニ∞

 そして、内君の脱退。

特に関ジャニ∞に詳しかったわけではないし、先ほど述べたような理由を全て知っていたわけではなかった。それでも、ただただ美しい涙を流す横山さんが美しくて、10年の間の苦労を思って、私は泣いた。気付けば、机はティッシュでいっぱいだった。

 

 そうして、私は十祭の虜になった。

 今まで、一度見たDVDをもう一度見ることは殆どしなかった私が、何度も何度も繰り返し見た。昼も夜も、1枚目も2枚目も。

笑いあり、涙あり、可愛さあり、かっこよさがあり、面白さがある関ジャニ∞。コントで40分も使うくせに、ダンスもバンドもやってしまう関ジャニ∞。何だこれは、何だこいつらは、と私は夢中になった。

聞いたことなかった曲も口ずさめるようになった。全員の担当カラーも覚えた。関ジャニ∞はユニット曲があること、Babunというドッキリ企画から派生して生まれたキャラクターがあることも知った。

そして、ブリュレ、イエローパンジーストリート、Heavenly Psychoの流れにドはまりした。

 それまでズッコケ男道とか、無責任ヒーローとかしか知らなかった私に、ブリュレのゴリゴリダンス曲はダメージが強すぎた。それに、バンドをやっている彼らがまぶしかった。全員が楽器を弾くことに驚いた。錦戸さんのギターから始まり、黄色のライトに包まれるイエパン。それからの、ヘブンリである。

 投票で一位に選ばれ、綺麗なイントロが流れた時の会場の歓喜の声。青の光に包まれた、幻想的なステージ。しっかりと刻まれていくメロディー。そしてすばるくんの出だし。

「いつも夢に選ばれないまま 陽が登り 沈んでゆく 日々」

まっすぐな目で、そう歌うのだ。長居スタジアムでライブをしている彼らが。十周年を祝うライブをしている彼らが。そんな彼らが、いつも夢に選ばれなかったと。私はこの出だしのワンフレーズの虜になったと言ってもいい。

 

 ヘブンリは、夢に向かう途中で、何度もくじけそうになる自分たちを鼓舞する、希望の歌だ。不安だけど、一人じゃない。不安だって、笑っていたい。また、太陽はきっと昇る。そんな、「希望の歌」。

 「大阪レイニーブルース」のカップリングとして収録されてはいるが、ジュニア時代から歌い続けられていた曲だ。今のような7人バンド体制ではない頃から。4人は楽器を手に、4人はダンスをして。

8ESTでは、スクリーンに過去と今の映像が合わせて映された。泣かないわけがない。先の見えない中、ただ目の前のことを必死にやっていたがむしゃらな彼らの横に、がむしゃらに楽器を弾く彼らが並ぶのである。どちらも、すごく一生懸命だった。

披露するにつれ、格段に演奏技術が上がり、音の深みも人数が増えた分増していた。声の出方も変わったし、何より演奏に余裕が出ていた。

デビュー前、デビュー後の暗闇の中で歌い続けてきた「希望の歌」は、確実彼らと成長してきたのだなと思った。

 不安をさらけ出し、今の自分たちをぶつけ、「いつも夢に選ばれないまま」と言い、それでも「希望の歌」を高らかに美しく歌う彼らの虜になり、私は今、関ジャニ∞のオタクをしている。

 

 

 

 

 そして事件は起こる。2015年12月発売の「侍唄」のカップリングに目を疑った。

「Heavenly Psycho・・・・だと・・・・・・!?」

嘘だろ。信じられない。何故今なんだ。何もわからないまま、私は初めて、関ジャニ∞のコンサートに行った。「関ジャニ∞の元気が出るLIVE!!」である。

 2015年Ver.の音源は聞かずに行った。単純に手に入らなかったからであるが、再録ヘブンリの初聞きは、ライブでの生演奏となった。

だからイントロが流れた時、何の曲か分からなかった。ただ、会場いっぱいに響く、澄んだ横山さんのトランペットが印象的だった。村上さんのピアノも優しかった。すばるくんの歌い出しはとても力強かった。そこでヘブンリだと分かった。息をのんだ。これが、これが彼らの今のHeavenly Psychoなのだと分かった。

とてもまぶしくて、美しかった。

それは、2015年の関ジャニ∞を表していた。デビュー当時は考えられなかった横山さんのトランペット、村上さんのピアノが物語っていた。どちらもとても美しい。7人の曲になったのだ。この再録されたヘブンリは、10年の間の彼らの努力と成長、そして11年目の宣言だったのだ。そうやって、彼らはまた、「希望の歌」を高らかに歌った。

 

  「Heavenly Psycho」は造語で、「究極の精神」だそうだ。作曲者が当時の彼らを見て作った曲。それを彼らはずっとずっと歌ってきた。常に進化を続けて。胸に究極の精神を抱え、希望の歌をずっと。

彼らはまだ、「夢に選ばれないまま」と思っているのだろうか。

「今は未来に向かう道の途中だ」と思っているのだろうか。

「ありきたりの質問に答えて許される明日ならいらない」と言った彼らは、自分たちの道を見つけられているのだろうか。

なぐりがきBEATの新年会で、「このままじゃあかん」と言い切ったすばるくんとメンバーを見て、まだこの人たちは上を目指しているのだと思った。これこそ「究極の精神」だ。ずっと彼らは、「希望の歌」を抱えて生きてきたのかもしれないと思った。

 

 

 2017年夏、関ジャニ∞は「ジャム」というアルバムを出した。その中ですばるくんが作詞作曲をした曲があった。「生きろ」だ。

「何もなくたっていいから やりたいことなんて 夢や希望なんてなくたっていい ただ一つだけ あなたを生きて」

ずっと関ジャニ∞は、「希望の歌」を歌ってきたのだ。「夢」や「希望」を歌ってきたのだ。

その彼らが、そんなものはなくたっていいと歌った。ただ生きろと歌った。

2017年の今だからこそ、歌える曲なのだなと思った。

希望を歌い続けること、夢を追い続けること、未来に向かい続けることのしんどさ、と同時に、それらを捨ててしまうことの怖さや悔しさを、一番知っていたのは、誰でもなく関ジャニ∞自身なのではないか。

すばるくん自身、アイドルという枠の中で悩んでいた時期もあったし、これは過去の自分、自分たちに向けて作った歌ではないかと思うが、これを、関ジャニ∞7人で歌う、という選択肢を選んでくれたすばるくんが嬉しかった。ただ生きることの辛さと、楽さ。自分を生きる、ということの難しさ。

全員三十路を超えた今だから、酸いも甘いも味見してきた彼らだから、ただあなたを生きてと歌える。

「Heavenly Psycho」も、「生きろ」も、これから関ジャニ∞の中で常に生き続けるのかなと思った。またそれは、エイターの中でも生き続ける。少なくとも私の中では、大好きな、大切な曲だ。自分たちの今を叫ぶように歌い、歌うように叫んでいた光景を、私は忘れない。

 そんな彼らがやっぱり好きだなあと、私はまた十祭の再生ボタンを押すのであった。

 

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なんか全然小説っていうかエッセイっていうかもう日本語めちゃくちゃっすわ。

言うてそんな小説読まないので、本を読む人からはふざけんなって罵声が飛んできそうなクソグダグダ長文になっちゃったんですけど、ヘブンリが好きな気持ちがちょびっとだけでも伝わってくれたらうれしいです。みんなもまた聞いてみてください。そして私と語りましょう。よろしくお願いします(?)